歴史

縄文人は意外と情報ツウ?!グルメな生活が明らかに

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地球の温暖化が問題視されている昨今ですが、気温が上昇するとどんな変化があるんでしょう?

ある研究によれば、地球の平均気温が4.3℃上昇すると地球上の生物の16%が絶滅する可能性があるそうです!!16%…ピンと来ないですが何かヤバそうだなとは感じますね。地球温暖化。。自分ができることをちゃんと取り組まないといけませんね。

それよりも急激な温暖化を経験したのが、氷河期が終わった更新世から完新世への移行期です。平均気温が一気に上昇したので「そりゃマンモスも絶滅するわ!」って感じですね。

約1万年を境に温暖化。完新世がはじまる

今日の重要ワード【完新世】ですね!前回まで勉強してきた更新世が氷河期とも呼ばれる寒い時期を含む時代だったのに対して、完新世の時代は、ほぼ現代と同じ気温が長く続きます。2020年の現在も地質学的には【完新世】にあたりますよ。

この完新世というワードを覚えるのと一緒にインプットしてほしいのが、いつから完新世がはじまるか?時期が意外と問われやすいんです。

更新世と完新世は今から約1万年前を境に切り替わった。と覚えれば完璧です

この【約1万年前】は完新世がはじまった時期でもあり、新石器時代のスタートでもあり、縄文時代とも呼ばれ、とっても大事な数字なので抑えておきましょう。

温暖化により植生が変化。木の実や小中動物の出現。

気温が上昇してまず起こることは育つ植物の種類が変わることです。これまでの寒く氷が積もり固まった土地では、大きな木や草花が生えることは難しかったのですが、暖かくなれば氷は融け草花もたくさん生えます。冬が終わって春になるイメージがぴったりですね。

そうして増えたのが実のなる木!落葉広葉樹とか照葉樹林とよばれる種類の樹木です。代表的なものがコナラ・トチ・クリなど。栗は分かりやすいですがコナラとはどんぐりがなる木だと理解してくれたら十分です。

ただし問題があって・・・どんぐりってそのまま食べたことってありますか? アクが強くて食べれたもんじゃないそうです。「食べたい」「でも美味しくない」と悩んだ縄文人は試行錯誤の結果、水にさらしアクを抜いたり粉状にして料理することを始めた様です。”どんぐりクッキー”わたしも食べましたが、まあまあといったお味です(笑)

この時使ったのが【縄文土器】です。水をたっぷり蓄えられる土器はどんぐりのアク抜きや煮るために使われはじめた道具なんですね!あとは【すり石と石皿】これはすり鉢のようなものでどんぐりを粉状の潰す道具です。形を見ると、綺麗に丸い石ですね!これは打製では作れません。そう!!石を磨いて作る磨製石器も使われ始めたんです。

縄文土器が使われる時代を【縄文時代

打製石器とともに磨製石器も使う時代を【新石器時代

つまり 縄文時代 = 新石器時代 と理解してOKなんです!

気温が上昇すると大型動物の多くが絶滅し、シカ・イノシシなどの小型・中型動物が増えていきます。植生の変化によって餌となる木の実が増え、草木で身を隠すこともできるようになった環境が小・中型動物に適していたことも要因の一つです。

そして縄文人たちはこの木の実やシカ・イノシシなどを狙って食べていたわけです。狩猟と採取ですね覚えてますか?でも、すばしっこい小型動物を旧石器時代で使用していた斧や槍で捕まえられるでしょうか?ちょっと難しい…となれば新しい道具が必要ですね!

縄文人は弓矢や落とし穴を使って狩りをしていたことが分かっています。弓矢に関しては矢の先端につける打製石器の石鏃が見つかり、磨製石斧は穴を掘るのにつかわれたと考えられています。

日本列島の完成!海進によって大陸と離れる

気温が上昇すると植物と動物に変化が起こると説明してきましたが、日本列島にも大きな変化が訪れていることを忘れてはいけません!

日本列島が出来上がる!!海に囲まれた”島国日本”の完成です。

もともと更新世の時期、日本は大陸と陸でつながっていたのを覚えていますね?あれは降り積もった雪が融けずに海へ戻らないから。海水面が下降して陸続きになったんです。今度は逆に海水面が上昇する【海進】が起こります。

  1. 気温が上昇したことで、陸上の氷が融ける。
  2. 融けた水は川から海へ流れていく。
  3. 海の水量が増えたことで海水面が上昇する。
  4. 日本列島と大陸の間の陸地が海の中に沈み、現在の形の日本列島が完成!

海水面の上昇によって日本列島の周りにはたくさんの入り江ができました。さらに歩いて行き来できた大陸と切り離され、日本が海に囲まれた島国になったということです。更新世の時代に知らず知らずのうちに歩いて日本にやって来た人類は、完新世の時代には”帰りたくても帰れない人たち”になりました。これが日本人の原点です。

縄文人は魚や貝も食べていた!大森貝塚の発見

海進によって日本は海に囲まれた環境に変わりました。さらに魚や貝などが生息しやすい入り江ができたことで、人類は魚や貝も日常的に食べられるようになったんです。これを【漁労】といいます。縄文時代の人々は食料を獲得する方法として狩猟・採取だけでなく漁労もはじめたんです。

では、日常的に魚や貝を食べていた痕跡とは何なんでしょう?答えはゴミ!!貝塚と呼ばれる貝殻や骨などを捨てたゴミ穴が見つかったことです。

アメリカ人モース東京都大森貝塚を発見!

日本各地にはたくさんの貝塚が発見されていますが、一番最初に見つけたのはアメリカ人のモースなんです。モースは明治時代にお雇い外国人として来日していました。

この貝塚をよく調べてみると、1年の間でどんな種類の魚が食べられていたかなど様々なことが分かるんですって!たかがゴミされどゴミですね~(笑)

さらに釣り針や銛(もり)、丸木舟や石錘も見つかり漁労の証拠が沢山発見されました。

釣り針は複雑な形をしているため、石を磨いて作ることは難しいです。なので登場するのが石より加工しやすい【骨角器】動物の角や骨を使って作る道具です。

丸木舟とは、樹の幹を半分に割りまるごとくり抜いて作った小型の船のことです。丸木舟が見つかったことで、縄文人はすでに航海技術を持っていたことが確認されました。

わたしのイチオシ石錘に注目してほしい!石を加工している磨製石器なんですけど、形だけを見て用途を考察してみてください(^^)/

中央の上下にくぼみがありますね。これが大事なんです!どうやって使うか分かりました?漁労の痕跡がヒントです!

答えは・・・網を沈めるおもりなんです!!

縄文時代の網は植物のツルとか繊維をより合わせて作ったものなので、遺跡から見つかることはなかなか難しいんです。でも石錘が発見されたことで縄文人が網を使った漁をしていたことが証明された訳です。どうですか?縄文時代の道具からどんな生活をしてたか考察するって歴史学の醍醐味って感じがしてワクワクしますね(*´ω`*)

<縄文時代の主な道具>

  • 縄文土器・・・水を貯めたり煮炊き用。*時期によって6期に区分される
  • 磨製石器・・・石皿やすり石、磨製石斧、石錘など
  • 新たな打製石器・・・矢つける石鏃、石匙(皮をなめす道具)など
  • 骨角器・・・釣り針や銛、装飾品など

食料が豊富になったので、おうちを作って定住生活

説明してきた通り、気温が上昇した縄文時代には狩猟・採取・漁労という様々な方法によって食料調達が楽になってきました。そのため、動物を追いかける移動生活から快適な場所に住み続ける定住生活へ移行したと考えらえます。

その痕跡が竪穴住居です。地面に穴を掘り屋根をかけた住居で中央には火をおこす炉が設置されていました。竪穴住居は数軒が環状に並ぶことがおおく、20~30人ほどの集団で暮らしていたと考えられています。竪穴住居の内側には広場が広がり土器づくりなどが行われ、その他にも貯蔵穴や共同墓地も近くに見つかっています。

縄文時代の遺跡として代表的なのが、青森県三内丸山遺跡です。

三内丸山遺跡は、縄文時代の遺跡の中でも特に巨大な集落跡で最も多い時期は500人程度の暮らす「ムラ」だったと推定されています。竪穴住居の他に墓地や巨大な貯蔵穴、そして大型掘立柱建物が見つかっています。

意外と知らない?!高度な情報社会だった縄文時代

三内丸山遺跡をはじめ全国各地の縄文遺跡で出土している特徴的な石が3つあります。

  1. 黒曜石
  2. ひすい
  3. サヌカイト

黒曜石とは火山岩の一種で、ガラス質を利用して打製石器の原料として使われることが多い石です。ひすいとは半透明の緑色の石で、美しい色なので装飾具に用いられることが多いものです。サヌカイトは讃岐石とも呼ばれる安山岩で、刃物用の石器の材料として用いられた石です。

日本全国の縄文遺跡からこれら3つの石は多く見つかりますが、実はどこでも取れる石ではないんです。

黒曜石の主な産地は長野県の和田峠北海道の白滝。ひすいは新潟県の姫川流域。サヌカイトは讃岐、つまり香川県奈良県の二上山。他にも産地はあるのですが、決してどこでも手に入るものではないと覚えておいてください

じゃあ、ある地域でしか手に入らない石が全国の遺跡から発見されるのはなぜでしょう?これは縄文人が”交易”を行っていたことを証明しているんです。交易、つまり物と物の交換ですね。縄文人は欲しいものや道具作りのノウハウ、生活のための情報を手に入れるために交易し、時には通婚と言って娘を遠いムラへ嫁に出すこともあったと考えられています。縄文人の時代から「情報」はすでに価値のあるものだったなんて驚きですね。

<縄文時代の交易に用いた石>

  1. 黒曜石・・・(産地)長野県和田峠・北海道白滝
  2. ひすい・・・(産地)新潟県姫川流域
  3. サヌカイト・・・(産地)香川県・奈良県二上山

縄文人の生活に信仰が芽生える。アニミズムとは何か。

ネアンデルタール人はすでに死者を埋葬する信仰心が芽生えていたという研究もありますが、縄文時代の遺跡からも、縄文人たちがいかに信仰を大事にしていたかということが分かっています。

縄文人たちは生活の中で様々な自然現象に遭遇していたはずです。大雨・地震・噴火などなど…、現代の私たちは科学の観点から自然現象がどのように起こるのかメカニズムを知ることができます。しかし縄文人はどうでしょう?ある日突然山が噴火すれば、そこに不思議な力の存在を認めるのではないでしょうか?

縄文人はあらゆる自然物・自然現象には霊威が存在すると考えていました。これを精霊崇拝『アニミズム』と呼んでいます。いわゆる”神”と呼べるようなものかはわかりませんが、縄文人は霊威を感じ生活していたことが遺物からも読み取ることができます。

<縄文人の信仰や風習> 【アニミズム】

  • 土偶石棒・・・女性の姿と男性を象徴を用いて子孫繁栄を願ったと考えられる
  • 抜歯・・・成人の証として前歯を抜く通過儀礼
  • 叉状犬歯・・・前歯をフォーク状に削る。特定の人骨にしか痕跡がない。
  • 屈葬・・・死者の手足を折り曲げて埋葬する方法。

屈葬とは、死者の手足を折りたたんで埋める埋葬方法ですが、なぜそんなことをしたかは諸説あります。土地の節約とか胎児の姿勢をまねた説もあるのですが、縄文人は死者が生き返って災いを起こすことを恐れていたという説もあって、わざわざ手首を結んだ痕跡も見つかっているみたいです。そりゃ死者が土から生き返って出てきたら怖いですよね!

縄文時代のお墓で、もう一つ注目してほしいのがみんな同じ場所に埋葬されたこと。だから【共同墓地】ですね!特別な墓が見つかることも無く、みんなが同じように埋葬されることから”縄文時代の人々に貧富や身分の差は無かった”と考えらえています。縄文時代は平和で理想的な世の中だったのかもしれないですね!

日本の歴史なんて、ほどんど縄文時代(笑)

縄文人の生活を説明してきましたが、食料や生活スタイル・信仰に至るまで、思った以上にしっかりとした歴史が存在しているんですよね!

それもそのはず、縄文時代はめちゃくちゃ長いんです!!教科書で見開き2ページで終わっちゃうのに実は超長い時代なんですよ(笑)

何年あるかはちょっと難しいんですけど、教科書には弥生時代が紀元前4世紀ごろからと書かれているので、それに従えば約7600年間も縄文時代ってことになりますね!そりゃ、縄文人だって7600年もあれば進歩して大きなムラだってつくりますよね!

なかなか奥が深い縄文時代でした。もっと詳しい情報は副教材の図録とかを読むと新たな発見があると思います( *´艸`)

<まとめ>

(1)完新世は約1万年前からはじまる

(2)温暖化により、狩猟・採取・漁労で豊かな食糧を確保。

(3)信仰が生まれ自然物に霊威を認める(=アニミズム)

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