歴史

いよいよ歴史書が登場!ポイントを理解すれば難しくない!!

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弥生時代の様子をもっと詳しく勉強するために、今日は中国の歴史書を2つ紹介していきます。「歴史書って言われると難しそう…」と思っちゃった方!大丈夫ですよ(^^)初めの方の歴史書はテストに出る部分はほぼ決まってます。そこさえ理解しちゃえばテストの点数はもらったようなもんです☆

「クニ」の成立。争いに勝つには中国との交流が大事?!

前回もお話しした通り、弥生時代には激しい戦いが始まりました。その痕跡として【環濠集落】とか【高地性集落】が出現したんですよね!

さらに弥生時代には戦いを優位に進めるために、中国と交流をしていたことが分かっています。実際はいつから交流が始まったかはわかりませんが、紀元前1世紀頃の交流の様子が中国の歴史書から明らかになっているんです。

ちなみになんで中国と交流するかと言うと、やっぱり中国がアジアの中心だったから!紀元前1世紀ごろは中国には【前漢】と呼ばれる王朝が成立していました。

この【前漢】の王と仲良くなれれば【倭人】(=日本人のことですね!)にとってメリットがあるんです。そのメリットとは、先進的な道具と技術の獲得!

やっぱり弥生時代の戦いにおいていかに優秀な武器を使うかは大事。もちろん鉄製の武器ですよ。当時のアジア最先端はもちろん中国。その中国と仲良くしておけば優れた武器が手に入り農業の技術だけでなく戦いのノウハウまで教えてもらえたのかもしれません。

あとは完全な想像ですが、”箔が付く”って効果もあるんじゃないかなと思うんですよ( *´艸`)!中国の仲間ってことで相手をビビらせたい、つまり「俺に喧嘩売るのか!俺のバックには中国の皇帝がついてるんだぞー!!」って感じ(笑)

そんな流れで弥生時代には中国との交流が始まって、中国の歴史書の中に【倭国】の記載が登場するってことを理解しましょう。

覚えておこう!史料を読むときのポイントまとめ

日本史を勉強していると、これから沢山の史料を読む機会が増えると思います。

今回は初めて史料を扱うので、高校の日本史学習における”史料の読み方”を説明しようと思います。

<史料を読むときのポイント>

  1. 出典と史料名を区別しよう。※室町時代までは必ず出典をチェック!!
  2. 『 』(二重カギかっこ)は書物の名称。
  3. 和暦や中国の暦には、西暦をメモしておく。
  4. 教科書でも史料集でもどんどんメモを取って、一度は自分で口語訳を読んでみる。

※史料の書き下し等は『最新日本史図表』第一学習社 付録日本史重要資料185に準拠しています。教科書や他の史料集と異なる点がありますが、ご了承ください。

1点目は、【出典】と【史料名】を区別しましょう。【出典】とは、史料がもともと記載されている書物や出所のことで、教科書や史料集では最後に明記されることが多いです。対して【史料名】とは史料の内容に合わせて呼ぶ通称のようなものです。

例えば、<憲法十七条>聞いたことありますよね?聖徳太子(厩戸王)が制定したと習う制度ですが、よく耳にする<憲法十七条>とは【史料名】を指します。【出典】は『日本書紀』と言います。詳しくは飛鳥時代で説明しますが、日本の歴史書として有名な書物です。

<史料名と出典の区別>例題

  • 憲法十七条・・・史料名
  • 『日本書紀』・・・出典

室町時代まではこの【出典】が問われることが多いので必ず自分でチェックする習慣をつけましょう。室町以降でも重要な出典はあるので、問題演習などで問われたものは確実にチェックするといいですね!

2点目は記載方法ですが、あまりこだわらなくても大丈夫です。教科書を見る際はこんなルールになっているんだと分かってたら便利ってことで。

3点目は和暦や中国の暦には西暦をメモ!史料には和暦という元号を使った表現がよく出てきます。そのまま覚えても良いんですが、わたしは西暦も一緒にメモしておくと整理しやすいと思っているのでおすすめです。

4点目はもう鉄則ですね!歴史史料は現代人からしたら外国語みたいなもん。英語だっていっぱいメモを書いて勉強するはずなので、日本史で高得点を取るためには史料はしっかり学習すると良いと思います(*´ω`*)

まずは難しく考えるより、慣れちゃうのが一番!ってことで史料を読んでいきましょう。

『漢書』地理志によれば、倭国は百余国の分立している。

記念すべきはじめて読む史料、紀元前1世紀頃の前漢の歴史書を【『漢書』地理志】と言います。

厳密にいえば、歴史書の名前が『漢書』で、その中の中国周辺の”地理”に関する項目が”地理志”ってことなんですが、日本史的には【『漢書』地理志】で覚えましょう。

『漢書』地理志は、中国が【前漢】と呼ばれる王朝だったころの歴史を記録したもので、そのころ(紀元前1世紀)に【前漢】と【倭国】が交流を持っていたので、倭国の地理的な情報を歴史書の中に記載したものを考えられます。

『漢書』地理志は短い史料なので、全文覚えちゃうのをおすすめします!3回ぐらい声に出して読んだら覚えられると思います!

『漢書』地理志

夫れ楽浪海中に倭人有り。分れて百余国と為る。歳時を以て来り献見すと云ふ。

「楽浪郡の先には倭人ってのがいて、百数個の国に分かれてるんだってさ。定期的に貢物を持って挨拶に来るらしいよ。」って書いてありますね(笑)

楽浪郡】っていうのは、前漢が朝鮮半島を支配するために置いた郡のことで、倭人がまず朝鮮半島に渡って楽浪郡に行き、そこから中国に案内してもらっていたってことです。

次に気になるのが【百余国】ですね。倭国はこの時1つの国にはまとまっていませんでした。食料をめぐって激しく争っているうちに、強い集落が現れて次第に大きくなり100個余りの「クニ」と呼ばれるグループになったんです。

最後の一文で理解してほしいのが、倭国は前漢に対して【朝貢】していた。ということです。【朝貢】というのは、中国に皇帝に対して貢物を献上して返礼品をもらうこと。倭国の目的は返礼品をもらうことでしたもんね!

このように『漢書』地理志を読むと、紀元前1世紀頃の倭国では激しい争いが起こっていたことや、中国との交易を持っていたことが遺跡の出土物だけでなく、史料からも明らかになった訳ですね!どうですか?史料ってそんなに難しくないでしょ??

『後漢書』東夷伝には、3つの時期で倭国との交流があった

次は1世紀~2世紀頃の様子を【後漢】の歴史書で見ていきましょう。出典は『後漢書』東夷伝です。東夷というのは、東方にいる異民族って意味です。

『後漢書』東夷伝

建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武、賜ふに印綬を以てす。

安帝の永初元年、倭の国王帥升等、生口百六十人を献じ、請見を願ふ。

桓・霊の間、倭国大いに乱れ、更々相攻伐し、歴年主無し。

『後漢書』東夷伝には3つの時期が同時に記載されているので注意が必要です。ここでは便宜上、段落を分けて書いています。極論を言っちゃえば、50年刻みで物語が展開していくとイメージしてもらえたら分かりやすいかと思います(^^)

西暦57年、光武帝から印綬をもらう

①西暦57年の様子。建武中元二年とは西暦57年のことです

「57年、倭国の南端にある奴国が朝貢した時、後漢の皇帝の光武帝がひもの付いた印をあげたらしいよ。」

ここで注目すべきは、後漢の皇帝【光武帝】から授けられた【印綬】ですね。これ、見つかってるんですよ!!江戸時代、【福岡県志賀島】という所で発見されました。なんでも、志賀島の農民さんが邪魔な石があるからそれをどかしてみたら、金色のハンコが出てきたらしいです(・∀・)!何とも夢のある話ですね!!

この【金印】と呼ばれるハンコが『後漢書』東夷伝の【印綬】ではないかと考えられているのですが、刻まれていた文字が【漢委奴国王】(かんのわのなのこくおう)という5文字でした。「漢の皇帝が認めた倭にある奴国の国王だよ!」っていう意味なんですが、倭国の倭っていう字だけ注意してください!間違いなのか何なのか「」という字になっていますので間違いの無いように!!

西暦107年、倭国王が奴隷を160人献上して朝貢した

②西暦107年の話。安帝という皇帝の永初元年とは西暦107年のことです。

「107年、倭の国王帥升たちが生口っていう奴隷を160人献上するから、皇帝に会わせてって願ったみたい。」

ここでは【生口】=奴隷だと理解してくれたらOKです。朝貢するときに持っていく貢物ってモノだけじゃなく人間の場合もあったみたいですね。よく考えれば、人間は重要な労働力になりますもんね~

2世紀半ば、倭国内の争いが激しくなった

③2世紀半ばの話。【桓・霊の間】というのは桓帝と霊帝という2人の皇帝の治世を指していますが、日本史的には【2世紀半ば頃】と分かればOKです。

「2世紀半ばごろ、倭国の争いが激しくなって、殺し合ってるらしいよ。長い間統一する王も居ないんだって。」

倭国大乱】とも言われる戦いが激しくなった記載が出てきましたね。【主】(ぬし)というのは統治する王のことなので、あまりにも戦いが激しくなって統治できる王の存在がなかったということでしょう。

察しの良い方は分かりますね?”統治できる王”がいなかった…が、これから登場するってことですよ!3世紀に入り登場するであろう王を思い浮かべて、なんだか楽しみになってきました( *´艸`)

史料を制する者は日本史を制する!!

まだまだ日本史の史料としては入り口の話しかしてませんが、「史料ってそんなに難しくないじゃん。」って思ってもらえましたか?思ってもらえたら嬉しいんですが…(^^;)

高校生の多くは史料読解が苦手です。でもだからこそ史料を読める人が周りと差のつく人になれるんですよ!

みんなの苦手なところを自分も苦手にしてたら、差がつきません。みんなの苦手な部分で点を稼いで日本史を得意科目にしましょう♪

<まとめ>

1)中国の歴史書の記載から、中国と交流があったことが分かる。

(2)倭国は中国の皇帝に対して、朝貢していた。

(3)「漢委奴国王」と刻まれた金印が福岡県志賀島で見つかった。

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