いよいよ縄文時代か?!と思ったのですがその前に、旧石器時代の人々の生活の様子をまとめてみましょう。日本の旧石器時代を大発見した【相沢忠洋】ってどんな人物なんでしょうか?
更新世=旧石器時代 打製石器のみを使う時代のこと。
まずは基本的な事項から確認しましょう。現在の日本の歴史区分は旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代・・・と続いていきます。でも縄文時代に比べて「旧石器時代」って影が薄い印象ありませんか??その理由はズバリ…
旧石器時代に関する研究は歴史が浅すぎるから!!なんです。
例えば江戸時代には、既に『万葉集』とか『源氏物語』のような古典文学や歴史を学んでいる学者はたくさんいました。明治になってからは日本史研究も大いに盛り上がりたくさんの研究が行われていたんです。
一方旧石器時代はというと、1949年までその”存在”すら明らかになっていなかったんですよ!
相沢忠洋による岩宿遺跡の発見!
つまり、第二次世界大戦後しばらくは「日本には旧石器文化は存在しない」と考えられてきたんですね!
その学説をくつがえしたのが相沢忠洋です。
日本考古学史に残る大発見をした相沢忠洋は何とも運の良い男!詳しく紹介していきましょう。
彼は考古学大好き青年でした。でも大学で本格的に考古学を学ぶことができなかったので、納豆の行商を行いながら独学で地層の観察を続けていました。いわば素人です。
そんな相沢忠洋ですが、群馬県岩宿遺跡の関東ローム層から打製石器を発見しちゃった!!
関東ローム層とは、更新世(つまり旧石器時代)に堆積したことが明らかな地層のことで、この地層から出土したものは旧石器時代の痕跡ということができます。この大発見によって今まで「日本には旧石器文化は存在しない」とされていた学説がガラっと覆ったんですね!一発大逆転☆
でも実際は、ただの素人同然の相沢忠洋の発見は当時の研究者達からは信用されず、その後さまざまな調査を繰り返し、やっと相沢忠洋の功績が認められたんですって。すごいですよね~
あ、でもでも、「相沢忠洋みたいに自分も大発見するぞ」と意気込んで勝手に遺跡を掘ってはダメですよ!現在は文化財保護の観点から素人が遺跡や地層を掘る行為は禁止されてます。ましてや出土した遺物を持ち帰ってたら罰せられるのでご注意ください(笑)
そういった意味でも、まだ情熱あふれる素人が活躍できる時代の相沢忠洋はまさにラッキーボーイだなと思うんです(*´艸`*)
対照的な「神の手を持つ男」!旧石器遺跡ねつ造事件
相沢忠洋の大発見によって、日本における旧石器時代の存在が確認された訳ですが、この教科書の地図を見てください。
群馬県岩宿遺跡・長野県野尻湖遺跡と今まで紹介してきた重要な遺跡名が並んでいますね!相沢忠洋の発見以降、日本各地でも旧石器時代の遺跡が見つかり様々なことが解明されてきました。
ですが、東北地方には遺跡の名前が1つもありません。なぜでしょう?「東北地方には遺跡が1つも無かったんだ~」なんて勘違いしてはいけません!!
東北地方にも遺跡は間違いなくあるんです!でも本物がどれか分かんなくなっちゃった!!
その原因を作ったのが「神の手を持つ男」です。彼は東北地方の遺跡の発掘調査に参加し、必ずと言っていいほど重要な石器を発見すると評判でした。しかし事件が起こります・・・
2000年宮城県の遺跡調査中、夜中にごそごそと作業する「神の手を持つ男」。手元では、穴を掘って石器を埋めている…!?そんな、捏造のスクープが新聞に載ってしまったんです。
今まで多くの大発見をしてきた「神の手を持つ男」でしたが、そのうち9割が自作自演であったということが明らかになったのです。
とはいえ、東北地方にはたくさんの遺跡がありすべてが偽物とは言い切れません。「神の手を持つ男」によって疑惑を生んでしまった東北地方の旧石器時代の遺跡は、”ひとまず教科書には載せない遺跡”となってしまったんです。
旧石器時代の生活は、狩猟と採取!打製石器は4種類のみ
最初に旧石器時代とは打製石器のみを使う時代だと説明しました。打製石器とは、打ち欠いて作った石器のことです。人類はまだ主として打製石器と火ぐらいしか道具として用いることができなかったので、食生活もだいぶ偏っていました。
旧石器時代の人々の食生活は狩猟と採取です。
狩猟とは、動物を狩ってその肉を食べること。採取とは植物性の食料を調達して食べることです。しかし氷に閉ざされた氷河期(氷期)では、採取といってもコケや海藻のようなものが取れる程度で、主食はやはり肉でした。
では、マンモスなどの大型動物をどのように狩っていたのでしょう?
マンモスのような大型動物を狩るためには人類は1人では太刀打ちできません。グループを組んで総攻撃を仕掛ける必要があります。でも多ければ良いという訳でもありませんね!100人でマンモス1匹しか捕まえなければ、1人1人の分け前はこれっぽっちになります。お腹いっぱいになりませんね。なので10人程度の集団で生活していたと考えられています。
次に攻撃方法。旧石器の人々はそこまで高度な道具を作ることができないので、攻撃に使うのは斧と槍です。まずは斧で頭をガンっと殴って倒す。そして槍で急所を一突き。息の根を止めるって感じです。
斧のことを打製石斧(だせいせきふ)といいます。分かりやすいですね!
槍のことは、先端のとがった尖頭器(せんとうき)や旧石器時代の末期に登場した細石器(さいせっき)といいます。
そして狩ったマンモスを食べるために肉を切って皮を剥いだのがナイフ形石器という道具です。実は旧石器時代に使われた打製石器はこの4種類です。全部覚えましょう
<旧石器時代の打製石器>
- 打製石斧・・・大型の打製石器を取り付けた斧。
- 尖頭器・・・先端のとがった打製石器を取り付けた槍。
- ナイフ形石器・・・片方がナイフのように鋭い刃となった石器。
- 細石器・・・小さな打製石器をいくつも木の先端に取り付け槍。(旧石器時代の末期に大陸から新たに伝来)
そして、旧石器時代の人々にとって主食となるのはマンモスなどの大型動物なので、人類はたえず動物を追って移動生活をしていました。なので住居はなく洞穴で雨風をしのいでいたようです。
そんな移動生活の人類だったからこそ、日本列島にもやって来れたんですよね!これが更新世の時代。旧石器時代の人々の生活でした!!
<まとめ>
(1)更新世=旧石器時代 打製石器のみを使う時代のこと。
(2)相沢忠洋が岩宿遺跡から打製石器を発見。
(3)道具は4種類。打製石斧・尖頭器・ナイフ形石器・細石器
コメント
捏造をしたF氏は考古学者ではありません。
旧石器時代には骨角器や木製品もあります。ただし日本は酸性土壌のため骨や木は残りづらいため、あまり出土例はありません。
4tあるナウマンゾウ1頭で、50人が1カ月食べられるそうです。
石斧、尖頭器、ナイフ、細石器の他にも、彫器、削器、搔器などもあります。
移動生活でどこにでも洞穴があるわけではありません。大阪はさみ山遺跡では住居跡が出ています。簡単なテントのようなものです。ただしこれは住居跡ではないという人もいます。
岩宿の石器さま
コメントありがとうございます(^^)ご指摘ありがたく頂戴しました。
確かに誤解を招く表現でしたので「考古学者」の記載は削除しました。
また、道具の種類や集団の規模などは高校の教科書の記載に準拠して書いています。
学術的には間違いも多々あるかと思いますが、ご容赦ください。
ご指摘いただけると、他の閲覧者の方の参考にもなりますので
今後とも、お気づきの点ありましたらご教示ください。
ありがとうございました(*´ω`*)